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日本テレビで放送されているわたし旦那をシェアしてたというドラマですが、とうとう最終章に入りました。

最初はバラエティとかコメディ風の軽いドラマだと思っていましたが、実際には人が命を奪われたりという重い内容でした。

始まりである3人の女性の中に恭平の命を奪ったとは言われているものの、結局は恭平に暴行を加え、女性3人からお金を奪おうとした森が犯人だったというあっけない結果になるんじゃないかと思っていましたがどうやら女性3人の中に犯人がいるそうです。

赤いドレスを着ていてた犯人と言う風にも言われていますが、もし赤いドレスを着たならもう着ることはないんじゃないかとか処分するんじゃないかとも思いますがどうなんでしょうかね。

藤宮茜が犯人ではないかとも言われていますが、3人の中では年齢差があり、恭一との関係ではプレゼントとかものやお金に関係することが多く、あまり感情的な深さはなさそうだとは思いましたが、犯人なんでしょうかね。

赤いドレスを着せた人がいるとか、本当は藤宮茜のものではないという可能性もありそうですが。

日本テレビ12時ドラマではリピートなど面白いドラマもありましたが、中には日常的な平凡な内容のドラマもあったりといろんな種類がありますね。

リピートが好きだった私には久々に好みのドラマの放送でした。
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芸能お笑い芸人コンビのカラテカの入江慎也さんが事務所を通さずに仕事を仲間の芸人に紹介していたそうで事務所を解雇されたそうです。

近年は人脈が多いということをアピールしてそれを仕事にも活かしていたようにも見えましたが、結局知り合いが多ければいいということでもないということだったり、多ければ多いほどその中に好ましくない人とも交流を持つことにもなるということなのでしょうかね。

仕事にも役立つ人脈ということだったならば、むしろ人脈により仕事を失うことになったということなんでしょうかね。

私生活でも人脈が広かったのか、それとも相方の矢部さんが気象予報士など仕事を増やす中で人脈を強みとして自分を宣伝しようとその時期からとくに人付き合いには力を入れるようになったんでしょうかね。

兄が衣類店舗の会社でも活躍しているそうで、そういう中で知り合いが多いほど仕事にも良いと感じて意識するようになったんでしょうかね。

入江さんは数年前から副業のような感じなのか事業を運営しているそうなので、仕事がなくなるということはないのかもしれません。

入江さんは加藤茶さんの妻とも知り合いだそうで、加藤茶も含め夫婦で付き合いがあるそうです。

加藤茶さんは20代30代の綾菜さんの友達や知り合いとの付き合いで大変そうには見えましたが。

まあ加藤茶さんも芸能人として人付き合いの苦労は避けられずそれも仕事のうちだと受け止めているのかもしれませんが。

加藤茶さんは現在75歳ほどとなり、テレビ出演も減ったなと思っていましたが、今度は妻の綾菜さんが芸能活動を始めるそうです。

よくテレビには出ていたのですでに芸能人だったのではないかと言う風にも思ったりしますが、元々の仕事や職業はイベント出演だったり通販で衣類を売る運営者だったりで芸能人ではなかったようです。

実家は複数の事業を展開しているそうですが、そちらを手伝うとか自分の会社を作り支援してもらうということはしないようですね。

加藤茶さん妻の綾菜さんカラテカの入江さんが一緒にカラオケボックスで盛り上がるというのも不思議ではありますが、カラテカの入江さんにとっては加藤茶さんは先輩タレントであり交流を持つために一緒にカラオケをやったのか、それとも純粋な友人関係なのかは分かりませんね。

影響力のある先輩と言う立場ではあるでしょうし、気軽な友達関係にはなかなかなれそうにありませんが、妻も一緒にいるとなると仕事の空気はなくなるでしょうし、ややこしい人間関係になるので本当に友達気分の雰囲気だったのかもしれませんが。

入江さんは結局芸能活動の他にも個人で営業をし、他にも自分で考えた事業を運営していたわけですからかなり忙しい日々だったのではないかとか、仕事をしている時間が多い日々の生活だったのではないかと思うとそういう部分は凄いとは思いました。



樹木希林さんが亡くなりましたが、これまで全身がんで重い病気ではないかと言われたり、自身も来年はこの司会の仕事ができないかもと言われるなどしていたもののしかし元気そうでした。

樹木希林さんのがんの治療と言うのはがんのところを集中的に治療するというものだったそうですが、樹木希林さんは辛さもあったのか治療をずっと続けていたわけではないようなことを言っていました。

しかし全身がんで5年近く元気でいられるということは自然な形では実現することはあまりないそうで、治療がそれなりの効果はあったようではあります。


フィラデルフィア染色体 遺伝子の謎、死に至るがん、画期的な治療法発見の物語 [ ジェシカ・ワプナー ]

亡くなるまで仕事を続けたり、元気な生活は続けてこられたようなのでそういう部分では良かったと思えるところも多かったのかもしれませんね。

お金にも余裕があり、お金で叶えられる部分は多かったでしょうし、お金が多いことで安心感もありますから生活する気持ちはやはり一般の人とは違ったかもしれませんね。

一般的な人だとお金の不安もあり、その上で健康にも問題が出てきて悩みごとが多くあるというのが多い気がします。

その後内田裕也さんも亡くなり、朝丘雪路さんと津川雅彦さんと同じく夫婦のどちらかが亡くなってすぐに残された側もなくなるということはあるんですね。

同じ年齢だから亡くなる時期が近いとも言えますし、生活習慣が似ていると亡くなる時期も近くなるのかもしれませんが。

樹木希林さんの娘の内田やえこさんは内田姓を名乗ってきたものの、父親とはあまり交流が泣く距離があったそうですね。

てっきり名字が同じなので親しいのかと思っていましたが。


大沢あかねさんと同じく、ほとんど会ったことがないけど名字は同じみたいなそれに近い事情もあったのでしょうかね。

樹木希林さんは体調が悪くなった後も仕事は続け、NHKの取材やドキュメンタリーにも応じていたようでした。

孫が芸能界で安定してきた頃に祖父母が亡くなるという、どこか次の世代へと受け継がれていくようになっているのかなと思うようなニュースでした。

安室奈美恵さんが芸能界を引退してから約半年ほど経過しますが、引退後はスーパーなどで見かけたという情報など以外はあまり報道はされていませんね。

今は個人情報など重視で報道を控える傾向にはあるそうです。

安室奈美恵さんの引退理由はダンスや歌が今までの質を保てなくなると思ったからだそうです。

安室奈美恵さんのダンスは大きく動くものでもなくどちらかというと落ち着いた動きにも見えますがそれでも運動量は多いかもしれませんね。
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引退後は。

引退後はダンスの指導に回るのではないかという話もありましたが、当分は芸能から離れた生活になるんでしょうかね。

10代20代30代40代の記録なども作りましたが、昭和平成令和それぞれの記録とはなりませんでしたね。

平成だけでした。

小学生時代にはデビューする前に歌番組に出たり、レッスン時代には目標の歌手がいたり歌の世界にはそれなりに思いを持っているようにも見えましたが、良い状態を追求し売れている中あっさりと引退となりました。

安室奈美恵さんは過去の自分の情報では雑誌等にインタビューと言う形で公式に近い形での発言なのにそういうわけではないのにとか事実じゃないとか、そういうことを言ったことはないという発言も多く、雑誌に書かれていた話というのは安室奈美恵さん本人が言ったことではないのかなどいろいろ不思議なことは多かったですね。

それらを考えると安室奈美恵さん自身、好きな歌手は本当は誰なのか不明ですし、いろいろな名前が出てきてもいたのでわかりません。

今思うと貧困時代があり苦労しデビューしてそしてオリコンで1位になったという話も、貧困時代と言うのは事務所の売り出し方法で過大な表現だったのかなどうなのかなと言う感じはしました。

噂などではない本人談と言う感じで小さい頃はお金がなかったという感じの話が雑誌等で出ていましたが実際にはそこまでお金には困っていなかったようでそういう話になっているけど設定になっているけどと、いつの間にかそういう少女時代になっていたみたいな風に語っていました。

沖縄県は所得が低いとか本土復帰までは他の県と比べ経済が良くはなく貧困状態だったという状況を重視し、安室奈美恵さんもそういう中から出てきた歌手として活動させようとしたんでしょうかね。

他のアクターズスクールの歌手の人はそういう話は出てきていなかったので、安室奈美恵さんだけがとくにお金がない環境だったんでしょうかね。

事務所の社長は平と言う名字の方でしたが、沖縄の平良が元の名字の沖縄出身の方ではないそうですね。

安室奈美恵さんの育ての親とか東京の父親と言う風に言われていたので同郷かと思っていましたが平社長自身は福島県出身だそうです。

アクターズスクールそのものもレッスンなど事務所に送り出すだけの事業で、売り上げは生徒が支払うレッスン料が主で、デビューして稼いでもそのお金は入ってこなかったようです。

安室奈美恵さんの稼いだお金が沖縄に関係する事務所に入り沖縄に還元されていると思っていました。

安室奈美恵さんが事務所と揉めた時には安室奈美恵さんがお金へこだわりを持つようになったとか、いろいろな噂も出ていましたが実際には引退したのでお金へのこだわりはなかったということでしょうし、引退理由はダンスや歌の質が保てなくなりそうだったからというものでした。

この事務所は荻野目洋子さんも関わっているそうなので、安室奈美恵さんよりも上の立場という関係だったのでしょうかね。

アクターズスクールも現在は沖縄県からのタレントは以前ほどはデビューしていないとかデビューしても売れることが少ないように見えますし、他の地区のタレントの活躍が目立つようになりました。

もう沖縄出身アクターズスクール出身のタレントはあまり活躍しないのかと思うと寂しいというか、時代が変わったのかなと感じたりします。

元々沖縄県出身のタレントは大成しない、売れないという風に言われていたそうなので、売れるようになったのではなくあの時が特別菜時季だったのでしょうかね。

2000年代半ばまでは沖縄出身の芸能人も多かったですが、その後はそんなに出てきてませんからね。

元々人口も140万人ほどの規模なので有名な芸能人が多く出ること自体凄い状況だったのかもしれません。


小林麻央さんの息子のかんげんくんが私立の小学校に入学したそうですね。

れいかちゃんと同じく市川海老蔵さんの母校のようです。

小林麻央さんが病気で亡くなってからずいぶんと年月が経過した気分ですが、それでもかんげんくんはやっと小学校に入学と言うほどなのでやはり幼い頃に母親が亡くなったんだなと実感する出来事でもありました。

小林麻央さんも闘病中は子供の運動会を観に行きたいとか、入学式の姿を見たいという願いを語っていましたが。

現在は回数や関係がやや薄れたとも言われた再婚した小林麻耶さんですが、現在も子供のイベントなどには様子を見に行き、その後はそんなに交流は持たずに帰るという接し方をされているそうです。

その分、小林麻央さんの母親である祖母が入学式で保護者として参加しているそうです。





小林麻央さんはれいかちゃんが小学校に入る前、かんげんくんが4歳になった頃に亡くなったので一緒に過ごした時間もやはり短いですが、かんげんくんやれいかちゃんたちの麻央さんへの思いは今も変わらずに思い出したりもし側にいたらとかという思いになり、涙を流すことも多々あるそうです。

子供が小さいということはそれだけ母親も年齢がそれほど大人ではなく経験や知識も少ないので、がんへの対応はやはり戸惑うものだと思います。

がんの5年生存率は9割ほどらしいですが、なかなか決断と言うのは難しい部分も多いようには思います。

すい臓がんだと5年生存率が1から2割ほどで部位によってずいぶんとは違うそうですが。

ここ最近の歌舞伎界では市川海老蔵さんの父の市川団十郎さんや坂東三津五郎さん賀亡くなるなど訃報が続きました。

かんげんくんが誕生してからは小林麻央さんが幼児教育とか乳児教育の教室へ通わせる姿が報じられていましたが、歌舞伎の教育の一部とのことでした。

市川海老蔵さんは歌舞伎のことやかんげんくんの今後のこともあり再婚してはどうかという意見は多いそうですが、今のところは結婚する意志はあまりないそうです。

週刊誌などの報道では市川海老蔵さんが小林麻耶さんを遠ざけていたとか、違う人との結婚をすすめていたとのことでしたが。

とは言っても家の中に父親しかいないというのは寂しいさもありますし、仕事などで負担がふえれば空気が重々しくなることも多いので、母親のような女性がいた方が生活はしやそうではありますが。


昔からお手伝いさんがいたり、海老蔵さんの母親や妹が出入りすることは多いそうなので暖かい雰囲気はあるのかもしれません。







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